体罰について

 大阪市で体罰を受けた生徒が自殺をしました。この事例についての詳細は今後分かっていくのでしょうが、一般的に体罰についての見解を述べたいと思います。
 率直に言えば、私は体罰容認派です。教育の現場で、そういう手法も必要だと思います。
 体罰を語る上で忘れてはいけないことは、体罰を容認するのは必ずしも体罰をする側だけではないということです。体罰を受けた側でも、体罰を容認する人間もいるのです。否定派がいかに体罰の有効性を否定しようとも、体罰を受けてよかったと考える人間は実際に存在するのです。
 まぁ、私も体罰を受けた側ですね。相手は父親なんですけど、詳細はさすがに省きます(笑)。もちろん体罰に悪い面はいっぱいありますよ。私の性格上の問題点、かなりの割合で父親の体罰からきてるんじゃないかと自己分析しています。しかし、それでもやっぱり体罰を受けてよかった・・・とまで言うと語弊があるかな? 体罰を受けたことで学んだことも多々あって、そうして出来上がった今の自分を肯定的に捉えています。
 別に父親の愛情を感じたなんていう綺麗ごとを言うつもりはありません。学んだのは、肉体的苦痛など、その時我慢すればすむし、人生には他にもっと厳しいことがあるってことかな。痛いだのなんだのって程度、悩むほどの価値すらありません。ある意味開き直りに近いですが、それでも自分は現実に強くなったんだと思います。
 安易に体罰の効果を否定する人たちって、私から見れば私の人格を否定しているに等しいですね。私の中には体罰から得たものが、よくも悪くも確かに息づいていますし、私自身はそれを肯定的に捉えていますから。人の人格を否定するなど、人間としては最低の行為ですし、そんなことをする人間はそれこそ1度や2度ぶん殴られるべきだと思います。

 誰でも子どもにはいろいろな個性があり、いろいろな可能性を持っているということは否定しないでしょう。体罰を受けてそこから何かを得て、伸びる子どもは確かに存在するのです。体罰によって子どもが自殺した場合、その子の可能性が踏みにじられたことになると思います。しかし、現実に体罰によって延びる子もいる以上、体罰を全否定してそうした子の可能性を摘み取ることも、私には同じくらい罪深いことだと思います。正直、否定派は子どもの個性というものを考えていないんじゃないかと思います。
 例えば、体罰の問題について元プロ野球選手の桑田真澄氏のコメントが話題になっているようです。氏の発言自体は一つの意見として受け入れますが、その評価のされ方には疑問を感じます。氏の発言て、結局は個人の経験に基づいた一面的な意見にすぎません。桑田氏は体罰で得たものはなかったのでしょうが、体罰によって得るものがあったという人がいた場合、それはそれでその人の実際の経験に基づいた見解で、どちらが正しいとか、優劣のある話ではありません。桑田氏の意見は意見として、他人の経験を否定する資格は氏にはありません。それぞれの受け取り方の違いに過ぎないでしょう。
 「世界にひとつだけの花」という歌がありますね。花の中には、温室でなければ生きられないような花もあれば、荒れた環境でなければ生きられない花もあります。それぞれの花に優劣はないですが、なんでもかんでも温室に放り込むのでは、むしろ一方の花を枯らすことになります。
 もちろん体罰って、使い方が難しいものです。しかし、結局褒め方だって相当難しいのです。子どもに対するどんな接し方にも功罪が両方あること、むしろきちんと弁えるべきだと思います。

 以前いじめによる自殺があったとき、警察の介入を積極的にするべきだという意見がありました。しかし、結局それも、子どもにストレスを与えて罪悪感を持たせるという点では、体罰となんら変わりはないのです。正直、いじめた相手が殴って過ちを自覚できるなら、警察を介入させるより体罰のほうがよっぽどその子どもに対する影響は少ないと思います。学校が治外法権でなにが悪いんでしょうか? 学校内で解決できるものは学校内で解決するのが一番いいのです。そのためにはある程度教師の裁量を認める必要があります。一方で教師の動きを縛っておいて、何かあると教師に責任を負わせる、教師よりもそんな外野の方がよっぽど罪が重いと思います。

 別に体罰を野放しにしろと言いたいわけではありません。手段としての体罰の使用を留保すべきというのが私の主張です。そして必要なときにはそれを使うのです。

 それから今回の事件について、自殺するほうも悪いというメッセージもきちんと社会は発するべきです。自殺した生徒を責めることが目的ではありません。今後、なんらかのストレスを感じている子どもたちに、自殺以外の手段を考えさせるためです。子どもが感じるストレスは、いじめや体罰など、他人に責任を転嫁できるものばかりとは限りません。また、いじめや体罰でも、自殺以外の選択肢は数多くあるはずです。今後、子ども達に安易に自殺という手段をとらせないためにこそ、自殺するほうも悪いということを伝えるべきだと思います。

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この記事へのコメント

ブチャ
2013年01月14日 14:00
体罰とは悪いことに対しての罰
不良とかクソガキなら殴っても問題ないだろう

だが、この生徒は何か犯罪でも犯したのか?
暴力と体罰をあなたは履き違えてないか?

殴られる理由もないのに殴られたらその人間は何が正しいかが分からなくなるだろうが!

ちなみに俺は体罰容認派だ
悪いことして叩かれて、そのことを初めて理解できた
だが、自己の利益の為に他人を利用しようとする犯罪者には殺意を覚えるタイプなんでね
2013年01月14日 21:26
 コメントありがとうございます。
 しかし、あなたはちゃんと私の文章を読みましたか?
 何よりも最初に「この事例についての詳細は今後分かっていくのでしょうが、一般的に体罰についての見解を述べたいと思います。」と書いたはずなんですが。この生徒にのみ適応できることなど、一言たりとも書いた覚えはありません。もっと日本語を理解できるようになってからコメントしてください。最初に書いた断り書きすら見落としするようでは話になりません。
2013年01月17日 23:38
 さらなる回答はないようですね。
 今回の事件での教師の体罰の是非と、方法論としての体罰の是非は問題が別。私の言ったのはあくまでも一般論の方。しかし、その上で「自殺という選択をすること自体が悪」というメッセージを今回の件でも発することによって、自殺に対する抑止力になればと思った次第。
 それにしても、このブチャなる人物、人の言動を理解する能力がこれでは、「自己の利益の為に他人を利用しようとする犯罪者には殺意を覚えるタイプなんでね」とありますが、この人が殺意を覚えた人のほとんどは普通の人で、単なる誤解なんじゃないかという気がします。こういう人が体罰をしたときこそ、殴られる理由も無いのに殴られるということになるんでしょうね。

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