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zoom RSS 絶歌を読んだ感想について

<<   作成日時 : 2015/07/11 00:55   >>

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 絶歌を手に入れました。すでに読み終わっています。
 自分で読む前に、ネットなどでいろいろな感想を読んだのですが、どれも基本的に最初から偏見ありきで見ているようでした。そうなると、ますます自分で読んで評価しなければならないと思っていました。
 読んで最初に思ったのは、なかなかうまい表現を使うなということでした。ただ、ちょっと比喩が連続しすぎて読解するのがめんどくさい(笑)。「自分が文章がうまいということを自慢しており、自己顕示欲が強い」などという評価をしている人がいますが、それはこのあたりを評価してのことなんでしょうかね? しかし、例えばプロの作家がうまい文章を書いて、わざわざそんな分析をしますかね(笑)? 文章を書く以上それなりに自己顕示欲は強いのでしょうが、別に病的なものとは断定できないと思います。実際問題、この本は第一部と第2部と別れていて、第一部は少年院に送られる前まで、第二部は少年院を出てからの話しになりますが、2部にはこうしたくどい比喩はほとんど出てきません。むしろそのあたりの違いを分析すべきなのではないかと思います。個人的な印象ですが、第一部はかなり現実感がないような気がします。それに比して第二部は現実感というか、生活感がありますね。事件を起こした時、本人は事件を起こしたとき、現実感が希薄だったのかもしれません。今風に言えば、いわゆる中二病といったところですかね。事件の発生にはもちろんいろいろな要因があるのでしょうが、酒鬼薔薇があの年代だからこそ起こった犯罪と言えるのかもしれません。
 どうも他の人の感想をみると、どうしても「酒鬼薔薇は変わっていないんだ」という方向にもっていきたがっているようなんですが、さすがにそれは無理があるでしょう。例えば、酒鬼薔薇が中学生の時の文章とあまりに違いすぎるからゴーストライターが書いたのではないかなどというのをみましたが、中学生の時の文章と成人してからの文章は違ってても当たり前です。かくいう私も中学生のときから細々と文章を書いていますが、やっぱり全然違ってますから。別にゴーストライターではないとは断言できませんが、本人の文章であってもおかしくないと思います。この文章の違いっていうのは、文章修行をしたからということだけではなく、本人の成長からもくるものです。第一部と第二部でがらっと文章が違うのも、それが理由かもしれません。第一部の方では当時の気持ちに基づいて書いており、第二部の方では今の気持ちで書いている、そういうことかもしれません。中学生から成人するまで、人がまったく変わらないなどということはむしろ生物学的、心理学的にありえないことでしょうね。
 それからよくあるのが、最後の最後で「書かずにはいられなかった」という言葉を過去の事件で「殺さずにはいられなかった」と結びつけて、変わっていないとする意見です。バカバカしい限りです。傷つけること自体が目的の後者と目的は別だけれど結果として傷つけることになる前者とでは大きな違いです。例えば同じ殺すという行為でも、快楽のために殺すより、誰かを守るため、即ち正当防衛の場合はまったく違います。行為を評価するなら、きちんと目的が何かを考えるべきでしょう。「書く」という行為は遺族を傷つけるに値しないという意見はありうるでしょう。しかし、こんな言葉が出てくること自体、少しは傷つけられる側の気持ちを考えているということです。少なくとも第一部において人を傷つける行為をするときに、傷つけられる側の気持ちに関する記述はなかったと思います。回想のような形で当時の評価をしたことはあったかもしれませんが。
 私は少なくとも、「殺さずにはいられなかった」と感じることはないでしょう。しかし、例え誰かを傷つけても書かずにはいられないことはあります。例えば、被害者の遺族が間違っていると感じたら、遺族を傷つけることになっても書くべきところは書くつもりです。
 この本について、宣伝部長は大勢の否定的な意見を出した芸能人だったと思います。遺族も含めてですが、本当にこの本を葬りたいのなら、むしろ淡々と放置することです。芸能人は「書かずにはいられなかった」のかもしれませんが、自分たちが意見を言えばどういう効果があるか、「逆効果」という効果を含めて考え、沈黙していたほうが現実的な対応だったと思います。一部の人間が騒ぎを大きくさえしなければ、この本はそれほど売れなかったことでしょう。
 あと出てきそうなのが少年法の関係ですか。「少年法に守られているからまた遺族を傷つけるようなことをするんだ」とか言われそうです。しかしひとつ思い出してほしいのは、酒鬼薔薇は当時週刊新潮に顔写真を、FOCOUSには写真と実名を載せられたということです。少年法では禁じられているのにね。つまり、今回のケースは少年法で完全には守り切れなかったケースなのです。顔写真が出ることで、恐らく通常より広い範囲で個人情報が広まったことでしょう。それによる影響がまったくなかったわけではないと思います。もしなんの影響も出ていないのだとしたら、そもそも掲載する意義すらないことになるでしょうしね。
 この本が匿名で出ていることの批判もあるようです。とりあえず、少なくともネットで匿名で非難している人間にはとやかく言う資格はないですね。自身が言葉に責任を持たないんですから(笑)。ちなみに、私はこのブログはほとんど本名でやっています。これは、自分の言葉に責任を持ちたいからです。それならいっそ本名そのままでもいいんですが、本名の公開にはリスクもあります。その兼ね合いで今のような形でブログを運営しています。結局、酒鬼薔薇も生きいかなければならないんです。本名の公開にはそれこそ居場所がなくなる危険性があります。そのくらいの自己防衛は、むしろ許容範囲だと私は考えます。それから、もし本名で出していたら、誰もがこの本を納得して受け入れていたでしょうか? むしろそれこそ「売名行為」とでも非難されるんじゃないでしょうかね? この本に難癖をつけたい人にとっては、結局匿名かどうかなど関係ないことでしょう。本人の責任うんぬんより、世間がさらし者にしたいだけじゃないでしょうか。
 この本の酒鬼薔薇の言葉をそのまま受け取るのなら、本人のストレスは大変なものです。大きな罪を犯した者がその事実を後から認識し、良心の呵責に責め苛まれるという状態、私は常々死刑なんかよりよっぽど厳しい罰だと考えていました。酒鬼薔薇は今そういう状態であるのかと思います。だとしたら書かずにはいられなかったという心情、私にはむしろきちんと罪と向き合った結果だと考えます。向き合った結果耐えられなくなった。そのための救いとして本を出したということでしょう。
 もちろんこれは私個人の勝手な感想で、ぶっちゃけこの本を読んだ程度では酒鬼薔薇が反省しているかなど、分かるわけがありません。ましてや受け取り手が最初から偏見に満ち溢れているのでは、きちんとした理解などできるはずがありません。わかった気になっているのは皆、単なる妄想です。ほとんどの人間が、自分の妄想の中の幻想の酒鬼薔薇を非難しているだけでしょう。結局は鏡に映った自分を非難しているだけです。
 結論として、私はこの本を読んでよかったと思います。それから、著者に印税を収める価値もあると思います。それは読者として著者への最低限の礼儀ですしね。酒鬼薔薇が反省をしていようがいまいが、この本には一般の人に読んで参考にしてもらいたい記述もいくつかありました。私としては、この本は多くの人に読まれるべき本だと思います。読む側がきちんと偏見をクリアにしてからですが。

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